◇補足というかエセ中世好きの薀蓄というか◇


猫本の舞台は衣装や建物から見てとれるように中世ヨーロッパをモデルにしています
つっても中世と一口に言えどその間はン百年
百年二百年違えば流行りや文化も相当違ってくるわけで
日本で今から二百年前だったら江戸時代(笑)


そんないい加減さを念頭に置いてれっつらどん





路上を歩いている女の子を馬車に詰め込んで連れ去るなんていう行為も珍しくなかった当時
女性の側もとっても迷惑・・と思いきや
身分の高いオトコに捕まえて貰って玉の輿なんていう話もあったとかなかったとか
案外彼女もそーいうの狙ってたりして でも狙うなら金持ちを・・・ね(死



貨幣経済が主流になってからいつの時代も金持ってる人が偉いのです(笑
金で買えないものもあるが殆どのものは金さえ出せば買えます
土地も身分も地位も将来の安心も
見栄の為に借金する貧乏貴族なんかもいてアンセルムもそんな貴族のひとり



【小父さん】 おじさん。年上の男性。
おとうさん、ちいとうさん とかではないです(ぇー



有名な話ではありますが三毛猫のオスは大変珍しく 誕生する確率は3万匹に1匹 非常に低いです
日本では生まれればメデタイと新聞にまで載る大騒ぎだそうな
でもここではあんまり珍しくなさそう っていうか作者が三毛であることをよく忘れる(埋

三毛のオスは理論的には産まれる筈のない突然変異種で生殖能力がありません
フェデリコの親父さんはそれを不憫がってまた闇雲に彼に愛情を注ぎまくっています(笑



『イタリア人は手ぶらで身の回り品以外には何も持たずに定期市へ旅する〜』このくだりは1550年のフランス人評論家より
金融の元祖と言えばユダヤ人 金利をとることを禁止したキリスト教徒に代わって手を汚す罪深き流浪の民
という説は広く知られていますが実際に業界を牛耳っていたのはイタリア系キリスト教徒らしいです
メディチ家とかね オイシイとこはみんな権力者のものなのね



ツナ→マグロまたはマグロ科の魚類
シーチキン→商品名



ツケ いわゆる掛買い掛売りは広く庶民に浸透していて、しかもそれを奨励する傾向にあったようです
しかしツケは払われず溜まっていたかというと結構みんな真面目に返していたっぽい



昔は身分によって身に付けられる服は生地、色、金銀宝石などの装飾品に至るまで細かく取り決めがありました
で でもね!視覚によって読者のシナプスを刺激するマンガというメディアに於いて譲れないッスよ!!
これに関してはろくすっぽ資料も集めず無視しています(殴

ビビっとくるデザインというのは見ていて楽しいというだけでなく
手に取って読んで頂かないことには始まらないマンガやイラストではとっても重要であると思います
それが全てではないのだけど



時代劇なんかでお代官様と越後屋が酒を酌み交わしているシーンを見ますが
あの時代の酒はもっと濁っていたそうです 透明になったのはもっと濾過の技術が発達してから

ヨーロッパでも事情は同じらしく、ビールなんかは酵母そのまんま入って濃厚で、貧しい庶民の重要な栄養源でした
労働者層は昼間っからビール飲んで仕事はかどるんかいと最初思いましたが
アルコール摂取という意味合いとは少し違っていたかもですね
元々は病人の飲むものだったし



19世紀に至るまでヨーロッパの囚人達は劣悪な環境に置かれていました
寒さをしのぐ毛布 まともな食事 全て看守や管理人への賄賂なしには得られない
逆に言えば金さえ払えば酒でも女でも手に入ったので、そのお金の集まる管理人という職業は大金出して買うもんだったそうな

監獄内は最悪な衛生状態で伝染病でいっぱい死んだそうです
部屋には窓もなく(窓税とかあったらしい)豚やら鶏やら飼っててもちろんトイレもなし おそろしや



単純にジャックの困る顔を見たいだけのヴィルジーニア(笑

結婚は個人と個人のものではなく家と家とが繋がる儀式でした
結婚相手の持参金は重要な要素であったし、お家の発展が個人の幸福より優先されていたけれど
それは当時の死亡率の高さとも密接に繋がっていました 食っていけるかって大事だかんね

好きでもない相手と無理矢理・・というケースもあったらしいですが お互いの気持ちを尊重するとこもあったそうだし
お見合い結婚より恋愛結婚の方が離婚率が高いという統計結果もあります
恋愛結婚は相手の短所を勢いで乗り越えるものとするならば
家柄同士の結婚は相手に長所を見出す作業なのかもなぁ〜と思います あと互いの家の代表として責任も課されてくるしね
一人の人間の正しいと思うことなんて所詮は長続きしないってことでしょうか(遠い目

でも10代の娘さんが40・50歳のオッサンの毒牙にかかる例なんて見るとやっぱり不憫やぁぁ〜;;



庶民の娯楽が絶望的に不足していた時代、公開処刑は一大エンターテイメントでした
なので恩赦や死刑囚の自殺なんかで予定されていた処刑が取り止めになった日にゃあ民衆が大挙して暴動を起こす程の人気っぷり
死刑台前にはよく見える特等席が金持ち向けに設置されていたそうだし 処刑の日には仕事は休みでした
もしかしたら「ギロチンまんじゅう」とか売ってたかもしんない(笑
死刑制度の存続・廃止の議論は置いといて、やはり人間の死には興味を引かれずにはおられないですね



髪の毛を売ってお金を得る、ということは髪の毛に需要があったことを示しています
カツラとかね



債務者監獄というのは借金を返せない人用の監獄
金返さないと出られない、でも金返せないから監獄行きなんじゃねーの というどうしようもない制度(笑
債権者のウサ晴らしにはなる・・といった程度のものだったようです



こんなとき彼はマリアに対して軽蔑と畏敬の念を同時に持つという非常にアンビバレントな状態になります
それは彼が自分の父親に対して憎しみを抱ききれない
かといって許すことも出来ない微妙な彼自身を直視せざるを得ないときだからかもしれません



彼はフェデリコが気紛れで金貸しになりたがってると思ってる
なのでとっとと辞めて出てって欲しがってます(笑

フォークはイタリアやスペインの他は全く普及していませんでした
フランスにフォークが持ち込まれたのは1533年カトリーヌ・ド・メディチがフランス王家に嫁いだ際で
イギリスにはもう少し後の1620年頃とされています
料理を切り分けるナイフ(共用)個人用のスプーン(持参。身分の高い者だけが持てるので盗まれないよう苦労したそうな笑)
それ以外は貴族も農民も僧侶も全て手づかみ 取り皿はなくてパンに載せて食べるというスタイルでした おお
汚れた手はテーブルクロスやナプキンで拭き、それらは宴会中に取り替えられました



し しいたけじゃないです!パンですよ!!!!(焦



えっと ぶっちゃけ貴族もわらの上に布敷いただけのベッドでした(死
ただ平民が一家全員ひとつのベッドだったのに対して、貴族は個人用にひとりひとつ持ってたけど
どのみちわらの中にはノミやシラミなんかが住んでて不潔だったそうです ひい



娼館に通うことに関して当時は寛大であったそうで
それは金のない若者は結婚する術がなく、性欲を持て余していたという深刻な事情からだったといいます(笑
客の2割が聖職者だったとか言うしね

12世紀、娼婦は労働者という位置づけであり、稼いだお金は正当な収入として教会に寄付することもできました
13世紀、娼婦の地位は下落し、市場でユダヤ人と娼婦は食物に手を触れてはならないという令が出たとこもあったそうです
14世紀、娼婦は管理統制され市や国が娼館を経営し、その税収が国庫の財源になってゆきます

1347年ナポリ女王は布告を出し、それは娼婦が仕事をして良い特別区域を設定する
娼婦には定期的に健康診断を受けさせる
妊娠した娼婦に出産を義務づけ生まれた子供への教育、生活を保証する
祝日、金曜は休みにする などといった内容でした
15世紀に至り娼婦は市民と対等の存在となり 貧しい家庭の主婦がパートとして身を売ることもしばしば
知識や共用を具えたいわゆる高級娼婦が出現するのもこの時期なのだそうです






そんなかんじで激重ハァハァ後編へ続きます








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